3月, 2017年

中国東北部史跡を巡る列車の旅報告感想文集

2017-03-31

旧南満州鉄道(大連~瀋陽~ハルビン)を高速鉄道で走る

「中国東北部史跡を巡る列車の旅」報告・感想文集

日程:2016年9月18日(日)~23日(金) 五泊六日

主催:横浜日本中国友好協会

企画・実施:日中平和観光株式会社

 

 

 

会長 飯田 助知

 

今回の旅は、学習と観光とのバランスのとれたよい旅でありました。私たちはこれまで旅を通して交流の実現に努めてまいりましたが、これについてもまた一歩ねらいに近づくことができました。

この度のコースは、「戦後70年」の流れを受け、歴史に向き合うことを念頭に設定いたしました。九・一八歴史博物館、七三一部隊遺跡、旅順の戦跡など、いずれも中国人にとっては「忘れられない」、日本人にとっては「忘れてはならない」(ガイドの王軍さん)ところです。私達は、見学を通して、中国人が歴史の記録・保存に極めて熱心なこと、それはハード・ソフトを問わないこと、更に教訓としてそれらを将来に生かしていこうとしていることなどを実感しました。

関連して言えば、日中双方にとって「憎悪の連鎖は断ち切らねばならない」(周恩来)を胸にきざみ、行動でそれを示すことが重要だと思います。

9月19日の遼寧省人民対外友好協会訪問時に話題となった自然環境の保全、省エネルギー、高齢化時代への対処、各種インフラ整備など日中共通の問題課題の解決に協力して取り組む具体的行動が求められていると言えましょう。日常のレベルでもいろいろあるのではないでしょうか。旅から得たヒント・課題も貴重です。

今回の参加者は11人でみな比較的高齢者、しかし活動的で優秀なガイドさんたちの計らいで変化に富んだ見学地を巡ることができました。さらに、会食の際はいつも一つのテーブルに全員が収まり、豊富な話題で相互理解も深まりました。

 

 

≪旅行日程の概要≫      副会長 菅田 弦

9月18  成田空港から大連空港へ。大連市海外旅遊有限公司の王新さんが出迎え。6日間我々のガイドをしていただいた。 専用車で大連北駅に(以後、市内移動は専用で)。大連北駅から高速鉄道乗車。2時間弱で瀋陽駅へ。レストランで夕食後ホテルへ。

9月19  遼寧省人民対外友好協会を表敬訪問。1時間の懇談の後、昭陵(ホンタイジの陵墓)見学。昼食後、瀋陽故宮、福陵(ヌルハチの陵墓)見学。老辺餃子店で夕食。

9月20  九・一八歴史博物館見学 瀋陽駅から高速鉄道乗車。2時間強でハルビン西駅へ。ソフィア教会(内部は歴史展示場)、中央大街見学。ロシア料理の夕食後、モスクワ劇場で「百年哈尔滨」を鑑賞。その後、自由市場、ロシア街、スターリン広場を見学。

921  七三一部隊罪証陳列館見学。ハルビン西駅から高速列車乗車。3時間半で大連北駅に。

9月22  東鶏冠山、水師営会見所、二〇三高地など旅順の日露戦争史跡を見学。旅順港を見てから大連外国語大学へ。日本語を学ぶ学生と交流。海鮮料理の夕食後ロシア街、星海広場等を見学。

9月23日 中山広場、大連賓館(旧ヤマトホテル)見学後旧日本人街を経て大連空港に、成田空港で解散。


コンパスの針は振れず    会員 杉野 元一郎

やはり大陸は広い、車窓からは中国東北部らしい大平原がいつまでも続く。大連~瀋陽、瀋陽~哈爾濱と窓際に置いたコンパス(磁石盤)の針はほとんど振れずに列車は北北東に向かって走り続ける。どこまでも直線に敷設された線路に日本との違いを感じる。僅か70~80年前、日本が強く関与した満洲国の史跡を巡り、戦争と植民地化が引き起こす人間の異常な心理(当時は正常か?)と行為に触れ暗く複雑な気持ちになったが、改めて過去の実態を知り、考える良い機会でもあった。

今後日中友好の絆を一層深め、両国とも平和を目指すコンパスの針は微動だにしないことを願うのみである。

 

今回の中国旅行実感     理事 嶋 公治

この度の旅行は、例年と違い上海の対外友好協会を通さずに横浜日本中国友好協会が独自に旅行会社と相談の上実行されました。私の知る限りでは、この20年間で上海対友協を通さずに協会の旅行を実施したのは2回目でしたが、そのいずれも問題となる事は無く楽しく旅行が出来たことは良かったと感じている次第です。

旅行の内容はいろいろの方が述べられていると思いますので私は詳細は省きますが、今回の旅行で私が感じた大きなポイントは、①日本が中国に関与した軍事事件の歴史の見直し(教科書に無い)②日本語を学ぶ中国人との交流であったと私は感じました。大変意義のある旅行であったと思いました。これからも今回の様な何か目的のある旅行を企画していければと感じた次第です。

 

二〇三高地に立って    会員 畠山 利子

今回の旅行では、地平線の見える大地を一直線に疾走する高速鉄道に乗れたこと、先の大戦の跡を詳らかに示す種々の展示に胸の奥深くをぐさりと突き刺されたこと、遼寧省人民対外友好協会表敬訪問、大連外国語大学の学生との懇談等、意義深いものが多々あった。が、一度は訪れたいと切望していた二〇三高地を踏むことができたことも印象深いことであった。

この地を踏むことは、大仏次郎賞となった大江志乃夫の『凩の時』を20年前に読んで以来の念願であった。「あの二〇三高地をいったん占領したとき、夜に入ってからのロシア軍の猛烈な逆襲の光景が焼き付いていた。津波のように押し寄せてくるロシア軍の巨大な黒い影は、無限の兵力を思わせた。(中略)身を隠す地物もない山上で兵卒たちは首をすくめ乱射乱撃した。」敵味方の砲弾が炸裂していたことだろう光景を頭の隅に描きながら、山頂への道を登った。今は歩きやすい道となり、両側に木々が生い茂って平和な景観を呈しているが、酸鼻を極めた戦場であったに違いない。

二〇三高地の頂上に立って、この中国の地で、日本とロシアという外国の軍隊が激戦を交えていたことを複雑な思いで、いや憤りを持って、私は旅順口を見下ろした。

 

日中の絆     中国語講座生 七宮 正行

9月18日大連から高速鉄道で瀋陽へ。泊まったホテルのTVでは九・一八事変の式典の報道をしていた。翌々日満州事変の引き金となった悔恨の地にある九・一八歴史博物館を訪ね入口にある巨大なカレンダー型のシンボルに圧倒されました。

館内のジオラマなどでの展示物には驚きを隠せませんでしたが、過去100年の中日関係の歴史を顧みると、後半の50年は中日両国国民が友好関係を発展させようとした歴史であるとの展示を知り、改めて両国の友好を重んじていることも知りました。

旅順では大連外国語大学を訪問して日本語学科の40名程の学生と交流を行いました。学生達は日本の文学、映画、アニメに興味を持っている学生が多く、かなりの日本通の学生が多かったことに感動しました。

 

高鉄「和号」に乗って    理事 小松崎 勇

今回の旅行は、高速鉄道に乗るのが楽しみの一つだった。時速300キロでとうもろこし畑を北へ北へ進む「和谐号」。高速運転のため当然ながら時刻は正確である。侵略、植民地化の象徴とも言える旧南満州鉄道に代わる「哈大高鉄」は、現代中国にとって大きな威信を象徴するものと思われた。

車内で弁当を食べていると、「おいしいですか?」と話しかけてきた中国人がいた。名古屋で実習生として働いたことがあるそうだ。話が進むと奥さんと生まれたばかりの子供の写真を見せてくれた。とても幸せそうである。列車の旅は楽しい。

一方、「9月18日」と言うことでやや緊張感をもって瀋陽駅に降りたった。「九・一八歴史博物館」、ハルビンの「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」を参観した。屈辱的な歴史事実を忘れまいとする中国、ややもすると歴史事実を歪曲したり、薄め忘れさせようとする日本の一部勢力との溝は埋まらないだろう。「前事不忘、后事之師、日中友誼、万古長青」を改めて心に銘じた。

高速鉄道に乗り、史跡を巡り、遼寧省人民対外友好協会や大連外国語大の学生との交流、「偽満州帝国」を垣間見る有意義な旅であった。もう少し、自由時間が欲しかった。

 

生まれ故郷への旅      会員 荻内 伸也

予てから、是非行きたかった「旧満州への旅」がやっと実現。これも小松崎氏のお誘いで日中友好協会加入のお陰と深く感謝。五泊六日の短期間だが、幸いにも天候、同行者、ガイドにも恵まれ、素晴らしい旅だった。旧満州は、私の生まれ故郷遼寧省丹東市(旧安東市)で、丹東へは行けなかったが、次回は旧満州の他地域を是非再訪したい。

大連、瀋陽、ハルビン共中国の代表的な都市で、高層ビル、マンション群が林立し、街の賑わいぶり、人の動き等から、その経済大国ぶりを目の当たりにして、「百聞は一見に如かず」を大いに実感。

また、大連外大日本語学科学生との交流や遼寧省人民対外友好協会との情報交換等現地の方々との触れ合いを通じ現地の状況把握に大変役立った。

しかし、マンションの空室状況、都市と地方との格差、インフラ整備状況、新幹線や飲食店やホテルでのサービスと清掃面等で日本との大差を感じた。

 

これからの日中友好を考える旅      運営委員 成松 明俊

今回の旅行は行先が旧満州国および日本が租借していた旅順、大連地域ということで、日中関係を強く意識させられた旅行でした。

二〇三高地などの日露戦争の戦跡は、東洋の一貧国が欧米列強に伍する国に発展する過程の苦難の歴史の1ページ、「坂の上の雲」の舞台として多くの日本人には刷り込まれていますが、日中関係という目で見れば、日清戦争のあとの日本の中国侵略の出発点であり、その前に見学していた九・一八歴史博物館、七三一部隊陳列館の陳列内容にもつながっているということを再認識しました。

今回の旅行では、大連や瀋陽の中山広場のように侵略時代の日本が造り、いまは周囲の建築物の景観を含め市民の憩いの場になっている場所の見物、遼寧省人民対外友好協会訪問、大連外国語大学の若い学生たちとの交流の機会があり、単に過去を反省するだけでなく、これからの建設的な日中友好を考える機会を得られた旅行でもありました。

 

中国東北部の戦跡、実体経済、学生交流で感じたこと          会員 中尾 昭一

大連、瀋陽、ハルビンを巡る旅に参加した。何よりも天候に恵まれ快適な旅であった。然し訪れた旅先は戦跡で気がおもく人生の癒しとなる旅行とはならなかった。満州事変、第二次世界大戦、アジア太平洋戦争、日露戦争は今の私たちに語りかけている歴史的史実とどう向き合うか心の痛む参観だった。具体的に巡った場所は(1)瀋陽では1931年9月18日関東軍が柳条湖で鉄道爆破、これに端を発し満州事変が起きた。陳列博物館、その庭内には当時爆破された石碑が陳列されていた。当日庭内で軍隊の歩行訓練が行なわれていた。(2)ハルビンでは関東軍七三一部隊本部があった場所と七三一細菌部隊罪証陳列館を見学した。館内の説明は日本人用にイヤホンが用意され歩きながら陳列品が理解できるようになっていた。人体実験がどのような方法で行なわれていたか、沈痛な見学だった。戦争の悲惨さ非人間性、残虐さを言葉では語り表現するのは難しい。(3)大連では旅順東鶏冠山,水師営、二〇三高地戦場跡地を見学した。旅順攻略では若者たちが湯水のように消費され、命をおとした。日本人は1万5千人が犠牲になり、ロシア兵9千人が犠牲になったと案内板に掲示されていた。塹壕、地中の作戦本部、迷路の地下道は当時いかに激しい激戦地であったか、戦跡が無言に今の私たちに語りかけている。

203㍍高台に記念塔が建立されていた。

瀋陽駅に到着して驚いた。駅前周辺は旧日本人が建築した建物が当時のまま保存し利用され、沿岸都市部のような高層ビルがなく整然とした街並みに感心した。車で5分も走らない中心地に建築途中の30階高層ビルが骨組みのまま放置されていた。倒産したのか工事中断不動産バブル再燃の予兆か?異常に感じた。

旅順へは海浜大橋を走行した。この大橋は森林動物園から高新技術園に架けられた星海湾大橋で6800㍍2015年10月31日開通した。走行中海浜を埋め立て建築した30階高層マンション7棟が売れなく空き家のままの状態である。ガイドの王新さんが「誰も買う人がいません。」と言っていたが、売れない分譲マンションが数多くその周辺にも見られた。不動産市場の過熱で不動産バブルが膨らみ、再々燃の予兆が感じられた。膨らむ不良債権がどこまでか?これらの不良債権は莫大で当局が発表しないから本当の数字は霧の中不透明のままである。中国の不良債権規模は12.5兆元(約190兆円)と公式統計の10倍だとする日本総合研究所の発表がある。中国経済が隠し持つ金融危機を招きかねない「爆弾」の潜在規模だとはじきだしている。灯りのつかない高層マンション群はゴーストタウンとなるのだろうか。中国経済は深刻な状況ではないかと思った。ゾンビ企業も大きな課題となっている。

大連外国語大学日本語学科学生交流は短時間だったが有意義だった。王聡(甘粛省蘭州出身)、任静(遼寧省瀋陽出身)との会話はもりあがった。 川端康成著「雪国」を読んでいます。仕事は何をしていますか、職業は、趣味は、マンガ、アニメ、日本の歌を歌ってください。日本語検定料は高い等々矢継ぎ早に質問がくる。この対応は大変だった。政治、外交関係では軋轢が目立つ日中関係だが学生との会話はほほえましい。日本企業、中国国有企業との会社相異論にまで話題が波及すれば白熱した議論になったかもしれない。

 

侵華日軍第七三一部隊遺跡を訪ねて          中国語講座生 和田 萬生

その場所はハルビン市の南方に位置していた。

レンガ作りの建物の跡が残されていて、中でもボイラー棟の煙突2本が特徴的であった。

私たちが旧日本軍の七三一部隊の遺跡を訪れたのは9月20日。雨ばかり続いていると言う日本とは違って、天気は雲一つない晴天であった。遺跡には記念館があり、関連する資料が展示されていた。展示物は客観的なものが整然と展示され、説明も淡々と事実だけを述べていた。

印象的だった点

  • 生身の人体を使った凍傷実験
  • 黄色ネズミを使った細菌培養 ・ガス室
  • 七三一部隊が政府公認で多額の予算を受け入れていた。
  • 戦後の要職についた人物の関与もあった。
  • 当事者の倫理観の欠如

七三一部隊については私の高校生までには歴史授業で習ったことを記憶していないし、日露戦争以後から現在までの歴史は駆け足で学んだ記憶があり、今回の旅行で、この近辺の歴史を知り、大変、衝撃的であった。

翌日には大連外語大学日本語学科の学生さん達と交流する機会があり若者のエネルギーと日本への期待を感じ、改めて日中友好の重要性を感じることができた。今回の旅行を企画していただいた

横浜日中友好協会の皆様に感謝するものである。

 

「恥」を忘れず未来へ    副会長 菅田 弦

本会では、毎年訪中旅行を行っているが、今年は高速列車を利用して、大連、旅順、瀋陽、ハルビンの史跡を訪ねた。その多くは、戦争、侵略に関する史跡だった。

旅順では日露戦争に関する東鶏冠山、二〇三高地、水師営会見所を見学した。日本とロシアの戦いが中国の地で行われたのだが、そのことについてどう思うかと中国人のガイドさんに聞いた。「国の恥です。」との答が印象的だった。

日本人として本当に恥である二つの施設の見学は重かった。瀋陽の柳条湖の線路脇にある九・一八歴史博物館。関東軍による侵略の展示は見るのが辛かったが、解放への苦難を乗り越えた、平和の大切さの訴えには安堵した。ハルビンの七三一部隊罪証陳列館の見学はあまりにも苦しかった。館内を見た後、外の残された施設の残骸を見て回り、重い気分はさらに増した。中国を知るにはこの辛い気持ちを心の根底に持つ必要があるのではないかと痛感した。この旅では、遼寧省人民対外友好協会の表敬訪問や大連外国語大学の日本語学科の学生との交流など見学以外の体験もした。

また、高速列車の快適さ、正確さを知ることもできた。各都市では旧満州時代の日本の建築物を大切に利用している。過去を尊重しつつ未来へ歩む中国の今を実感した旅であった。

 

 

 

 

 

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