11月, 2014年

私的「移山」(その2)

2014-11-19

私的「移山」(その2)                    石井重行

 

 

4.苦手の対策

昨年6月までの準1級の試験はヒアリングと筆記だけであったが(昨年11月の試験から2次試験として面接試験が追加された)、合格基準点はかなり高くてそれぞれ原則75点、一方だけクリアしても次回一方が免除にはならない。ヒアリングは中国語の長い文章を聞いてそのあと文章の内容に関連する質問の4択問題が10問、放送される中国語の文章をそっくり書き取る問題が5問。筆記の方は各種5択問題が約30問とピンインを中国語に直す問題2題、中文和訳3題、和文の中国語訳2題または3題である。最初はどれもまったく歯が立たない感じだったが次第に慣れてきて、14回目にまぐれで筆記だけ合格点をとった。その当時はヒアリングがとくに苦手であったが、書き取りは楷書で書こうとすると放送のスピードに追いつけず、走り書きのような要領で書くことでようやくなんとか間に合うことを知った。27回目にヒアリングが初めて合格点に達し、もう一息という感じになった。しかし、その頃になって和文の中国語訳が致命傷と判断できる採点が続いて、これを解決しない限り合格の見込みはないと思った。中国語検定協会からは再三、特訓通信講座の勧誘もあったが、その内容を見て実力がつく感じがせず参加しなかった。

そして2年前、当協会のブラッシュアップクラスの内容を知り、天佑のようにこのクラスに参加すると、以後、翻訳要領が身についたのか試験の和文中国語訳の採点が格段に高くなって、遂にトータル合格点を得られたのである。

もう一つ不可欠な課題としてトイレ対策がある。年寄りにかぎったことかも知れないが、準1級試験の拘束時間は2時間20分で、この間試験場から出たら失格となる。まず前夜から水分絶ちをして、さらに直前にトイレに行くなどしても、終了30分前くらいからは我慢を強いられることになり、この苦しみから解放されただけでも、合格の意味が有ると思っている。

 

5.反省

59歳で退職した時、実は中国語以外にもう一つ目標が有ったが、暫くして二兎は追えないことに気付き、取りあえず中国語1本に絞ったのだが、目標達成までにこんなに年月を費やすとは思っていなかった。第一に目標が高過ぎたことが悔やまれる。61歳で準2級合格の時、次のもう一つの目標に切り替えれば別の人生が展開したことと思う。この歳になってはもう一つの目標に挑戦する気力も失せかけている。

記憶力が特に求められる語学の習得にこの歳になって夢中になったのは愚かといえるが、70歳過ぎてから記憶力の低下が歴然としてきて、新しい語句がなかなか記憶できないだけでなく以前全部記憶したはずの単語カードを1年位たって見直すと半分近く思い出せないといった状態で、限界をつくづく感じている。

単語カード160冊は単純に計算すればなんと1万6千語を収録していることになり、これだけでも財産と考えることもできるが、実は以前にカード化したことを忘れて重複してカード化したものがかなり混ざっている。また、一般には使わない語句や日本語での説明がないものなども多く、その類のものは何回暗記を繰り返しても記憶に残らない。さらに最近作成したカードほど記憶に残らないのはどうも私の脳の老化が原因のように思う。160冊の単語カードは毎日3冊暗記し直しても一回り約2ヶ月かかるので、その間にまた忘れてしまうのである。

 

年寄りの繰言になるが、身の程も弁えず高い目標を掲げた結果、自縄自縛の長い年月を費やしてしまった。記憶力が要となる語学なので、もっと若い時期に始めていたら、こんなに梃子摺ることもなかったのではないかと思う。

さらに、73歳になってもう後がないと感じた時から学習にかける時間も増やし1日平均4時間位集中したが、これをもっと早い時期からやっていたら、事態はきっと変わっていたのではないか、私にとっては難攻不落であった目標だが今思えば攻め方に問題があったと反省している。

(完)

 

(注)「愚公移山」:どんなに困難なことでも辛抱強く努力を続ければ、いつか必ずなしとげることができるというたとえ。「移山」は当協会の機関誌名ともなっている。

中国の愚公という名の90才にもなる老人が、家の前にある二つの大山をほかへ動かそうと、土を運び始めた。人々はその愚かさを嘲笑したが、愚公は子孫がその行いを引き継げば山を移動させるだろうと、一向にひるまなかった。その志に感じ入り、天帝(神様)が山を移動させ平らにしたという「列子」の故事に基づく。

 

私的「移山」(その1)

2014-11-08

私的「移山」(その1)                  石井重行

 

1.はじめに

 私は昨年6月、75歳で遂に永年受験してきた中国語検定準1級に合格できた。昨年6月の準1級合格率は約24%でそれまでの回の合格率より格段に高かったが、検定協会に伺った話ではこの回の60歳以上の合格者は全国で2名、私が最高齢とのことであった。

 中国語は50歳の時に全くゼロからスタートしたが、それまで30歳、40歳と10年単位で自分なりのいろいろな目標を定めそれなりに目標を実現してきた過信から、何の根拠もなく60歳までに中国語検定2級(現在の準1級)合格を目標とした。しかし現実はそんなに甘いものではなかった。百折不撓を口実に実に合格まで25年、準1級の受験回数は37回。

 私にとって準1級合格はまさに「愚行移山」といえる。私のこれまでの愚行は「他山の石」としての価値があるのではないかと思い、横浜日中友好協会から第1回の合格者表彰を受けたお礼も兼ねて恥を晒すこととした。

 

2.受講と受験の経過

 50歳当時はサラリーマンだったから、毎週1回、夜7時から2時間、中国留学生援護会の中国人留学生(主に横浜国大の大学・大学院生)を講師とする教室に通っていた。中国語検定試験は1年後に4級を1回でクリア、2年後に3級を2回目でクリアしたが、3級から準2級(現在は2級)のレベルの差は大きく、週1回程度の学習ではとても歯が立たないと思い悩んで、遂に59歳で退職を決意した。

 退職後は月水金の週3回中国語教室に通った。月曜は中国留学生援護会の午前10時から12時の自由会話クラスに闖入。このクラスは援護会の40近くあるクラスの中で最高レベルと評価され、私が参加した当時は留学生中最年長の講師も受講生もすべて女性、受講生の大部分が中国で数年生活してきたような、中国語ぺらぺらの人達で、闖入しては見たものの教室内では基本的に中国語しか使わないので会話について行けず面食らうことばかりだった。それでも男一人ということで大切に扱ってもらったので何とか辛抱できた。

 水曜と金曜はそれぞれ横浜日中友好協会のの6時半から8時半までのクラスで、水曜は新設された検定クラス(S老師担任)に参加しここではずっと班長を務め、先生からは受験用教材を頂いたり、私の受験狂いに惜しまない援助を頂いたが、期待に答えることができないうちにこのクラスは定員割れで解散してしまった。また、金曜は中級クラスで、協会のクラスとしては最高レベルということで、やはり初めは中国語が聞き取れず針の筵に座っているような2時間であったが、やがて耳慣れてきた。週3回の学習に切り替えた1年半後、4度目の挑戦で準2級(現在の2級)に合格できた。以後15年間、途中1回だけ休んだが、年2回、途中から年3回(3月6月11月)準1級に挑戦し続け、遂に37回目で、山を動かせたのである。

 

3.自習の方法

 とくに心掛けたことは中国語の語彙を増やすことで、コクヨの単語カード1枚に2語、1冊50枚に100語収録したものを作り、常に持ち歩いて暗記につとめた。手持ちの古い岩波中国語辞典がそれぞれの単語を重要度に応じて6種類にランク付けしているので、重要度の高いものは全部カード化した。また月曜のクラスメートが中国旅行のおみやげに私にだけ「現代漢語虚詞辞典」や「同義語小辞典」などを買ってきてくれたり「四字熟語辞典」を貸してくれたりしたので、これらにも一通り目を通し、何くれとなく選別してカード化した。留学生講師が貸してくれた中国の高校生の漢語の学習参考書に重要四字成語として挙げているものが数百あったので、その中で知らなかったものはカード化した。一方、59歳で退職してからCCTVを家で見るためにアンテナを設置し、毎日1時間は見ることとし、字幕に出てくる意味不明な単語はメモして辞書で調べ、出来る限りカード化した。このようにして単語カードは現在までに約160冊、これを毎日順繰りに3冊づつ持ち歩き、空いた時間があれば何処ででも繰り返し暗記した。

 さらに、テキストや受験用教材、検定試験の過去の出題などから選んだ短文を細長い単語カード1枚に2文、1冊30枚に編集したものを現在までに約30冊作った。これも当初単語カードと同じように持ち歩いたが、それだけでは正確に記憶できない脳力であると悟り、73歳になってから背水の陣の想いで毎日1冊書き取り暗記することとした。これは当初非常に時間もかかり苦痛を感じることもあったが、やがて比較的順調に復習できるようになり、今になって思うと、もっと早く実行すべきであった。

 

                           (続く)

 

(注)「愚公移山」:どんなに困難なことでも辛抱強く努力を続ければ、いつか必ずなしとげることができるというたとえ。「移山」は当協会の機関誌名ともなっている。

中国の愚公という名の90才にもなる老人が、家の前にある二つの大山をほかへ動かそうと、土を運び始めた。人々はその愚かさを嘲笑したが、愚公は子孫がその行いを引き継げば山を移動させるだろうと、一向にひるまなかった。その志に感じ入り、天帝(神様)が山を移動させ平らにしたという「列子」の故事に基づく。

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